ゆらゆらと水面の様に揺蕩う意識は時に夢という名の幻を見せる。太陽が落ちるのは日に日に早くなり、空風が身にしみる日々が続く中突然訪れる小春日和のある日。窓越しに差し込む太陽の光は春の柔らかなそれとはまた異なるけれど、眠気を誘うには丁度良いものだった。南先生との補習の時間まで、あと少し。今日は会議があって遅れるから…と申し訳なさそうに言っていた先生。以前ならば、その隙に逃げ隠れしていたものだけれど、教室なりバカサイユなりで補習の時間まで先生を待つという行為が悪いものだと思わなくなった。
だけれど、この暖かな陽だまりと暖房で適度に暖められたバカサイユの中で、眠るなという方が無理な話だ。うつらうつら…と船を漕ぐところからはじまって、重たくなった瞼がゆっくりと落ちてきて…時折「クケー(おきて!)」というトゲーの声と、ペチペチと尻尾で頬を叩く衝撃に一瞬目が覚めるけれど、またすぐに振り出しに戻って睡魔に襲われる。はじめのうちは現と夢の狭間を彷徨いながら、それでも雲のように浮遊する意識は辛うじて現と繋がっていた。けれど、いつしかまどろみに呑まれて「トゲー」と僕を現実に引き戻さんとする声も遠くなっていった。
―薄紅色の吹雪と絨毯。それは季節を錯誤させる光景だ。…コートを着てマフラーを巻いて、トゲーは凍えてしまわないようにポケットへ。つい先日の記憶がそれなのだから、間違いなくそれがまどろみの中の世界であることは違えようがなかった。…それなのに、何故に嫌いな春の花の夢を見るのか―?夢で起こることは深層心理と繋がっているはずだから、恐らくは僕の心の奥底でそれを思わせるような事を感じずにはいられなかったということは間違いないのだろう。
…そして、見覚えのある後姿に答えはすぐに見出せた。…一瞬、南先生と錯覚し、名前を呼んで手を伸ばす。けれど、振りかえったのは先生ではなかった。只ただ、悲しそうに微笑む一つの影が揺れた。…と同時に、鳶色の瞳と例えるなら雲の様に柔らかな声が鮮明に蘇る。
「……………」
名前を紡ぐと揺れる瞳を携えて「なぁに?」と振り返る君の姿。…それは半ば強引に翼にB6の仲間として迎えられてから心の奥で蓋をして沈めていたはずの記憶。臭い物には蓋というけれど…夢の中で久方ぶりに出会ったその揺れる瞳は決して厭わしい記憶ではなかった。…確かに本当の意味で“蓋をしておきたい”と思う過去があり、そこに彼女が関わっていることは覆すことのできぬ事実だ。故に、彼女のことを思い出すということは、厭わしい記憶もともに引きずり出されることになる。単純に、忘れていたわけではない。この厄介と言いたくなる程にずば抜けて良いこの記憶力は、彼女と出会ったその瞬間からここに至る経緯までをしっかりと脳裏に焼き付けてはいたけれど、それを思い出さないように心の奥底に沈ませて気付かないふりをして目を逸らす事など簡単だった。
「…くん……」
閉ざしていた記憶といえど、一度綻びはじめれば鮮明に蘇る、それ。…きっと、こうして春の花に包まれているのも、きっと君と過ごした時の記憶にその花があったから。しかし、彼女が自身の名を紡ぐ時は「瑞希」だった筈だ。この記憶は万能すぎる故、記憶の奥底に押し込めて置いても、ひとたび浮き上がれば鮮やかに記憶という名の色彩を浮かび上がらせる。
…………じゃあ、今………僕を呼ぶのは…誰…?
「瑞希くん、起きて」
「……先生………?」
心配そうに覗き込む先生の顔を見て彼女ではないのだと気付き、まどろんでいた意識が覚醒する。頬に当てられた柔らかいハンカチからは彼女とはまた違うかすかに甘い香りが漂った。以前、一にそんな話をしたから大動物だなんて括られるようになったのかもしれない。誰がどういう香りだなんてそんな話をしたわけではないけれど、ただ「人の香りは各々で違う」と呟いてしまったらそういう話になったのは、つい最近の過去の話。
「いつもみたいに寝てるだけだったら、もう少し待っていようと思ったの」
だけど…ね、と言葉を濁す先生だけどそるは先生なりの優しさなのだと悟った。少しだけ濡れたあとのある頬と、どこか熱を帯び腫れぼったい瞼がすべてを物語っていたから。
「トゲーがね瑞希君のこと物凄く心配していたのよ」
「クケーッ!」
「………そっか………」
トゲーは知っているから…だ。君の事を。過去に何があったかを。…遠くないほんの少しだけ昔、君と共に過ごした時を唯一に知っているから。…大切な友達、という枠を除いても、君との過去を共有しているのはトゲーだけだから、心配してくれるんだ。
「………ねえ…せんせい……」
「なぁに?」
先生か目を細めて首を傾げて僕に問う仕草を見て…嗚呼、だからか…と、思わずにはいられなかった。その仕草も、間延びした言葉も、僕を見つめるその瞳も…君にとてもよく似ていたから。
―だけれど只一つ…君と、先生が違うのは…
「もしも…大切な人が手の届かない所に行ってしまいそうだったら……先生はどうする………?」
「クッケーッ!」
「そう…ね」
トゲーが心配そうに顔を上げる。だけど、大丈夫だよとトゲーと一と…そして君にしか通じなかった言葉で告げる。
「とてもとても大切で、どうしても手放したくないのなら…私だったら絶対に離さないわ」
―その瞳の奥に宿る光が揺れることなく、真っ直ぐに僕を見据えているということ。
「………いまから、でも…間に合う…かな………?」
今からでもこの手で君をすくうことはできるだろうか…?
「瑞希君なら、大丈夫よ」
「……どうして………?」
君をすくう事が出来たのなら…今でもこんな風に、不意に涙を流したりしなかっただろうか?君の悲しい笑顔を思い出すたびに、苦しくなったりしないだろうか?平坦な筈の僕の感情を唯一揺るがしていた君は、だけれど哀の方にばかり感情を揺さぶるから。
「だって、瑞希君はちゃんと大切な人のことを大切にできる子でしょう?トゲーも、B6もClassXの仲間も」
「…………それは………」
つい最近の話だった…から。続けるつもりで言葉を飲み込んだ。嗚呼、だからなのか…と気付いてしまったから。全てから目を背けて、安寧のまどろみに身をゆだねて眠りについて現実を見つめないようにしていた。だけれどそれは結局、“過去”に蓋をするだけじゃなくて、君との思い出と…そして、君をすくえなかったという現実を目の当たりにしなければならないから。
夢は境界の曖昧なままで僕に囁く
君をすくえなかった僕に本当の意味での安寧の平穏なんて許される筈がないんだ…と、思っていた。だから、過去に蓋をして偽りの安寧を手に入れる代わりに身を潜めて過ごしていこうと決めた筈だった。だけど先生と出会って、そうじゃなくて…もう一度、君をすくいに迎えに行くって言う選択肢だってあったんだと知ることができたから。
…ねえ、もう少しだけ…時間がかかってしまうけれど、必ず君をすくいにいくから…だからどうか……もう少しだけ、待っていて…
……すみません(すらいでぃんぐどげざ)…シリアス&ぐだぐだで読みずらいことこの上ないですね。因みにコッペリア没設定を色々変えたものです。故に若干被る部分もあり。すくう=救う:掬う。助けると底辺に堕ちた状態から掬いあげるという自己満足的意味。[20090922]